受験ノイローゼ

診断されたわけじゃない。そういうものがあることを知って自分が当てはまると思っただけだ。

大体のみんなが通るであろう受験というものは脳科学者の茂木先生によると、ゲームをやるように気楽にやるといいらしい。

でも当の本人、受験生は国公立や偏差値の高い大学に行かなくちゃいけないというプレッシャーを自分にかける、誰にも言われていないのに。

国公立に行って親に金銭的に楽をさせてあげたい、子供ながらそんなことを考えてしまう。

もし仮に自分が親の立場になったら、そんなこと子供が気にすることじゃないと思うはずだ。

受験は団体戦、よく言う先生がいる。たしかに間違ってはいないのかもしれない。

でも不合格だったりした時に落ち込むのは自分だけで、周りの人は自分の人生じゃないから他人事である。

受験生は孤独だ。孤独にみんな頑張ってる。

東大卒の芸能人が言う。俺は東大入るために死ぬほど勉強した、と。

死ぬほど勉強できない、なまける自分が大嫌いだった。

いつも自分がどこで何をしてるか知っているから、数分休んだだけでも、あの時間勉強していればと思ってしまう。

娯楽で映画を観ただけで、この1時間勉強していたらとも思ってしまう。

僕は第3志望の大学まで落ちた。めちゃくちゃ落ち込んだ。自分が頑張らなかった時があったから余計にだった。

大学に受からなかったら人生もうおしまい、そんな風に考えていた。周りが「そうじゃないよ、勉強が人生の全てじゃない」そう言ってくれるけど、その時の僕にとっては大学受験そのものが人生だった。

お先真っ暗と思っていた自分の心に刺さる名言があった。それは『ブリッジ・オブ・スパイ』という映画にあった。

勉強をする気力が起きなかった自分は沢山映画を観た、その1つがそれだ。

内容は2つの国がお互いの国に潜入していたスパイを生きた状態で交換する、つまり母国に返してあげるというものだ。

簡単に交換して、はい終わりではなく母国に帰ったらスパイは相手の国にバレてしまっているため、しくじったと殺されるかもしれない。

そんなスパイに片方の国の1人が交換間際に問う、「心配じゃないんですか?」スパイはこう答える「心配が何の役に立つかね」

僕はこの言葉に心を打たれた。この言葉はいろんなこと言える。明日の試験、告白、発表。何か起こる前から人を不安にさせる出来事全てに言える言葉だった。

僕のブログを観ている受験生がいるかどうかはわからないけど、1つ言いたいのはこの名言と、落ち込んでいる時の人間は視野が狭いということだ。

僕は今専門学校に通っていて自分がやりたかったことは専門学校でもできることだった。

それが高校の時は頭が大学、大学でやりたいことが二の次になっていた。

自分がやりたいことにつながる道は無限大に広がっている、道は1つじゃない。

学生風情の僕から言えることはこれだけです。

今の受験生、頑張れ。